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2015/07/16

■ 小荒間の話題5

 2015年7月16日(木)、今日は昨日までの天気と打って変わって、朝から雨が降っている。台風の影響だろうか時々強く降ってくる。でもまだ風は強くない。雨の中、朝の散歩に出かけたが、強い雨になったので建物の中に一時避難。

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 4~5分で小雨になったので散歩を再開したが、帰り道にまたひどく降って来たので、同じ場所で休憩する。雨の中のごろすけとの散歩は3倍疲れる。

 今日も「・・・小荒間高原を歩く」の小冊子からの話題を紹介する。

 甲斐小泉駅を出てすぐの道路を西へ歩くと、小荒間小戦場跡が見えてくる。「1540年2月、信濃の村上義清の軍勢1500余人が小荒間に押寄せ、近郷を焼き払ったので、武田晴信(信玄20歳)は旗本を率いて信濃勢と戦い、勝利を得ました。古戦場には今も御座石、遠見石、鞍掛石などがあります」とある。その石がこちら。

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 周辺一帯からは「鏃」や「仏像」「刀」などが発掘されたらしい。ここから信玄の軍用道路といわれるようになった「棒道」が続いているが、この棒道を少し行ったところに「富蔵山公園」がある。この公園は、この戦いで死んだ沢山の馬のために、馬頭観世音菩薩を祀って冥福を祈った場所と書いてあった。

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 今から475年前に、この辺一帯が壮絶な戦いの場だったとは想像もつかない。

2015/07/10

■ 小荒間の話題4

 2015年7月10日(金)、今朝は久しぶりに太陽が顔を出すいい天気になった。朝の散歩では南アルプスは雲の中だったが、上空には真っ青な青空が広がっていた。

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 八ヶ岳も朝の内はごらんの通り青空の下ですっきりと見えていた。

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 三分一湧水公園にも朝日が舞い込んでごろすけも眩しそうだ。

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 今日も「・・・小荒間高原を歩く」の小冊子から、JR小海線の「甲斐小泉駅」付近の話題を3つ紹介する。

 「甲斐小泉駅」は昭和8年に開業し、当初は信号取扱いの為駅員が常駐していたが、昭和61年、信号が自動化され、その後駅舎も小さく建て替えられたので無人となったらしい。

 新しい駅舎の外観は旧長坂町のシンボル「国蝶オオムラサキ」がデザインされているが、何故か「甲斐小泉駅」の日本語表記がないと紹介されている。

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 2つ目の話題は石柱の話だ。駅前には「八ヶ岳の石柱」として建てられた35基のうちの1基がある。海抜を示す数字と共に刻まれた文字は「篤博愛共存誼」。関東大震災からの復興を祈念した大正天皇のお言葉だそうだ。

 この石柱は、身延町の海抜100m地点から権現岳山頂までの100m(標高)ごとに28基と、岳麓駅前などに7基、計35基建てられたことになっているが、現在は10基の所在が不明だそうだ。

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 3つ目は「平山郁夫シルクロード美術館」だ。駅舎をくぐると、すぐ右手に現代的なガラス張りの建物が現れる。平成16年に開館し、日本画家平山郁夫による絵画作品と、平山夫婦が40年にわたって取集してきたシルクロードの美術品が展示されているそうだ。

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 小さな無人駅の甲斐小泉駅だが、それなりに話題もあり、観光シーズンになると結構乗客が乗り降りしている。

2015/07/06

■ 小荒間の話題3

 2015年7月6日(月)、7月に入ってからの6日間でまだ1日しか太陽が顔を出していない。毎日うっとうしい梅雨の天気が続いている。

 なので、今日も「・・・小荒間高原を歩く」の小冊子から2つの話題を紹介する。

 その一つは石仏の話だ。富士見通りと名付けられたバス通りの一番上のカーブにあるバス停が「下村」で、その側に五つの石像や石仏が所狭しと並んでいる。

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 「この辺りはかって小荒間集落のはずれでした。旅人はここから村に入り、村人はここから旅に出立しました。疫病神をここで落とし、旅の安全をここで祈ったのです。真ん中の祠は双体道祖神です。道の守り神であると同時に村の子孫繁栄の神でもありました」とある。

 こんなところにどうしてあるのかとも思ったが、ちゃんと意味があったのだ。

 二つ目の話題は水車小屋だ。この石仏のすぐ上の道路沿いに、皆さんよくご存知の水車小屋がある。

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 大正初期より昭和25年ころまで活躍していたこの水車は、小荒間に13基あった水車の一つで、今では峡北地区に残された唯一の水車だそうだ。今でも毎日のように回っている。

 いつも何気なく見ているものに、それぞれ歴史があるのでとても興味深い。

2015/07/05

■ 小荒間の話題2

 2015年7月5日(日)、今日も梅雨の天気が続いている。でも朝の散歩では傘をさす必要がなかったので助かった。

 昨日に続いて「・・・小荒間高原を歩く」の小冊子から水害の話題を紹介する。

 「八ヶ岳山麓は1485年から20年~80年周期で水害があったと記録が残っています。近世になっても、小荒間の大水害は昭和18年、23年、30年と続きました。いずれもJR小海線の高川鉄橋と下流の高川橋を押し流し、三分一湧水を土砂で埋め尽くし、さらに下流の田畑を荒らしていったのです」とある。

 その高川橋から見た高川鉄橋がこれ。一両編成の小海線の車両が通っていった。

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 我が家の近くで、ほんの50年前までこんな大きな水害が立て続きにあったとは初めて知った。最近は集中豪雨が多くなっているので少し怖い。

 三分一湧水公園の中には、昭和18年の山津波で押し上げられた大きな石が「大荒れの碑」として置いてある。

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 横の碑文にはその時の説明書きがある。

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 更にこの本には、「江戸時代から山津波を押出し(おんだし)と言って恐れていた村人は、治水に霊験あらたかな磐船地蔵尊(いわふねじぞうそん)を下野国(栃木県)から勧請して一基の石碑を建てました」とある。高川橋近くの畑の側にあるその石碑がこれだ。

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 昭和62年、この石碑が高川の西の桑畑に倒れていたものを発見した当時の区長さんが、もとの場所に建て直したそうだ。

 自然災害が少ないと思っていた八ヶ岳南麓にも、大きな水害の歴史があったのだ。

2015/07/04

■ 小荒間の話題1

 2015年7月4日(土)、今朝も雨は降っていないが梅雨らしい天気が続いている。

 最近、文化庁の支援事業で、「そろんそろんフットパス推進委員会」が3月に発効した「・・・小荒間高原を歩く」という小冊子をご近所の方からいただいた。

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 この辺の住所表記になっている「小荒間」の話題が23に分けて載っていて、とても興味深い。その中からいくつかの話題を紹介していく。

 小荒間は、東西は長いところでも1500mしかないが、南はレインボーラインから、北は権現岳まで続くとても縦に長い地域だ。

 この本によると、400年以上前には「小荒井」と呼ばれていたが、高川と古杣川の間に集落があったことから、いつの間にか「小荒間」と呼ばれるようになったとある。

 この地域に周期的に起こった水害で何度となく荒れ地となったので、当時の村民たちが、縁起の悪い「荒」の文字を取って「小間村」と変えて欲しいと代官所に願い出た記録が残っているらしい。

 今では大雨の後でも川の水が増水している様子もなく、水害などの被害は聞いたこともないので信じられない感じだ。梅雨のこの時期でも高川は川とは思えないほど少しの水量しか流れていない。湧水橋から見た今日の高川はごらんの通り。

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 植林のお陰なのか、コンクリートの地面が少ないせいなのか、こちらに移って来てから、この辺は水はけがとてもいいと感じている。